コジマコージ

2019. 08. 12

冷たい金属の感触と、逆三角形の赤い憂鬱。

 20代の頃にネパールを旅した。世界中で長方形じゃない国旗はネパールだけで、それは“赤い三角形”(△)が縦に二つ重なったような特殊な形状をしている。現地では山を表す記号にも「△」が使われているらしく、トレッキングツアーのガイドが「KOJIMA△」と大きく書いた紙を持っていた。今だったら「小島△(小島さんかっけー)」だと歓喜しただろうが、「本田△(本田さんかっけー)」が流行語大賞にノミネートされる数年前の話。もちろん写真なんか撮っていない。勿体ないことをした。


 ネパールを訪問するにあたって周囲から治安の心配をされたが、市街地でライフルを持った人を見かけるものの不思議と治安の悪さは感じなかった。それよりも、信号や道路標識をほとんど守らない(そもそも信号が消灯している)という自由すぎる交通事情に当時は度肝を抜かれた。しかし、日本の道路標識の方がよほどスリリングだと海外で話題になっている。

 

 ラグビーW杯、東京オリンピック、大阪万博と立て続けの国際イベントに多くの観光客の来日が見込まれているが、困ったことに「一時停止」の道路標識が“赤の逆三角形”なのは日本だけ。世界標準では“赤の八角形”なのだ。以前は日本も世界標準と同じ“赤の八角形”だったらしいが、なぜか1964年の東京オリンピック直前に日本独自の“赤の逆三角形”に変更されたという。不思議だ。

 

 同じ時期に日本独自のルールが採用された例が他にもある。衣類のタグに付いている「洗濯表示マーク」だ。こちらも50年以上前から日本独自のマークが使われてきたが、2016年12月に国際規格(ISO3758)に統一された。邪魔だからとタグを切ってしまう人もいるが、その衣類に対する適切な洗濯方法など有益な情報が記載されているので、ぜひご家庭でも活用していただきたい。

 

 言葉が通じない状況でのコミュニケーションには図形(マーク)が重宝する。しかし、「一時停止」と同じように「日本のルール」を「世界の常識」だと勘違いすると、海外では思わぬトラブルに巻き込まれてしまうこともある。

 ネパールでもホテルに到着して早々、ちょっとしたトラブルがあった。日本への帰国便の乗り継ぎがほぼ不可能であることが判明したのだ。日本の交通機関は時間に正確なことで有名だが、ネパールでは飛行機の出発が数時間遅れることは当たり前(下手したら数日遅れることもある)。旅に不慣れだった僕はフライトスケジュールを分刻みで組んでいたため、復路チケットの買い直しを余儀なくされた。貧乏旅行の身としては予定外の出費は少しでも抑えたい。現地の旅行会社のスタッフに尋ねたところ、ネパールではクレジット決済の手数料が高いという理由で「キャッシング」をおススメされた。ちょうど近くのビルにATMがあるという。大通りに出ると脇道に入ってすぐのところに古ぼけたATMが見えた。

 

 海外でのキャッシングはセキュリティ面が不安だったが、起動した画面を見て別の不安が生まれた。そのATMの表示が「ネパール語のみ」だったのだ。困った。数字以外の文字がまったく読めない。カードはすんなり挿入できたが最初からつまずいた。暗証番号を入力して「〇ボタン」を押してもカードが戻ってしまうのだ。しかし、何度か繰り返すうちに「〇ボタン=キャンセル」だということが分かった。「〇(決定)」「×(キャンセル)」という認識も日本人だけの思い込みなのだ。

 

 ATMと格闘すること5分、ようやく金額を入力する画面まで進んだ。あともう少し。そのときの僕は完全に油断していた。画面の操作に集中するあまり、後ろに人がいることにまったく気が付かなかったのだ。不意に背後に気配を感じた直後、冷たい金属のようなものが僕の背中に押し付けられた……。

 

 ライフルの銃口だった。

 

 やられた。一瞬で血の気が引いて、こめかみの辺りから冷たい汗が流れる。下手に動くと撃たれるかもしれない。とにかくATMの方を向いたままジッとしていた。男がしきりに何か言っているがネパール語なので聞き取れない。勇気を振り絞ってゆっくりと振り返ると、そこには一人の男が立っていた。しかし、何か様子がおかしい。何度も時計を指差して困った顔をしている……。まさか! 僕は操作をキャンセルしてATMの順番をライフル男に譲ってみた。

「サンキュー!」

 男は満面の笑みになり、嬉しそうにお金を下ろして立ち去っていった。言葉が伝わりづらい海外の場合、表情やジェスチャーなどの非言語コミュニケーションが頼みの綱となる。ライフル男も順番をずっと待っていたのかもしれない。不慣れで時間が掛かってしまい申し訳ない気持ちもある。しかし、だ。いくら急いでいてもライフルで突くのは絶対にいけないだろ!

 

 ATMで調達したお金を持って旅行会社へと戻る。担当のスタッフにこの出来事を話すと「そんなに怖がらなくて大丈夫よ」と笑われた。ショックを引きずっていた僕の頭の中は放心状態でまっ白。顔色だってひどく青白かったに違いない。ちなみに洗濯表示マークで「△」は「漂白」を意味する。

 

 こんな「小島△」はイヤだ。

 

ライター

コジマコージ 

MUDAI代表/デザイナー/コピーライター 高校中退&就職未経験の逆エリート街道まっしぐら系フリーランサー。酔うと句読点について語るらしい。素敵な妻とかわいい娘のスリーピース家族。主な運動はダブルクリック。

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