ちょっと不思議なクリーニング店
2019. 08. 07
式前夜のハンカチーフ
最初に会ったときから、こいつは多分いいやつなんだろうなと思った。
妻からは自営業だと聞いていたが
ジャストサイズのスーツに身を包み、
(高くもなく安くもなく絶妙なブランドものと推測)
普段はきっと、締めないであろう、ネクタイまできゅっと。
その日のうちの夕飯は、いたっていつもどおりだった。
白飯、味噌汁、冷奴、さっきスーパーで買ってきた新鮮な刺身。
そして、娘が大好きな鶏肉をオリーブオイルでさっと焼いたもの。
俺はまったく知らなかったけど、
うちには何度か遊びに来たことがあるらしかった。
「おかあさん、ぼく運びますよ!」
なんて立ち上がって、箸置きを並べ始めたのにはちょっとイラっとした。
しかも、酒もいけるクチだった。
テレビから流れるにぎやかなバラエティをBGMに、
何となくぎこちない会話を、往復して。
缶ビールを数本開けて、焼酎の水割りに移行したころ。
妻が、娘に目くばせをした。
「ああ、うん…。」
何でもそつなくこなし、どちらかというとクールな娘の動作が、
いきなりスローモーションのように鈍くなった。
目がきょろきょろとせわしなく動き、心なしか頰が赤く。
「ええっと! うん。うん。うん。」
口火を切ったのはやつの方からだった。
「おとうさん。えっと、僕たち、えっと!」
(本当にこんな日がくるんだなあ)
現実は、ドラマのように大げさでなくて。
いつもの食卓のなかで、いつもの夕飯を目の前にしながら、
テレビの音にかき消されるように、
小さな宣言のなかで、娘の結婚を知った。
仕事柄、パリッとノリを効かせたワイシャツが必需品だ。
妻がまだ元気だったころは、
家中のシャツやシーツ、布という布がふんわりと、
あるいはパリッとしていて、あるべきものがあるべき形になっている。
そんな心地よさと充足感があった。
結婚が決まった娘の晴れ姿を見ることなく、妻は逝った。
ずっと仕事人間で、家事なんてまったく協力してこなかった。
糊がきいたシャツがハンガーにかかっているのが
当たり前だと思っていた。
自慢じゃないけど、アイロンはかけたことない。
アイロン台のありかも、シャツの糊づけの仕方もわからない。
最近はもっぱら、クリーニング屋だのみだ。
今うちのクローゼットには、
クリーニングのビニール袋がそのままかぶさったままのシャツが、
いくつもハンガーにぶらさがってある。
「ずっと摘まれない花みたいだな」と思う。
何となく無気力で、何となく、感情の行き場がない日々をおくっていた。
自分の子どもの結婚式なんて、人生の数少ない
一大イベントに間違いないのだろうが。
男親の自分にとっては、正直、何とも形容しがたい気持ちのままだった。
1カ月後に娘の結婚式を控えたある日。
なじみのクリーニング屋が閉店することを知った。
安くて、早くて、仕上がりも良くて。
会社帰りに立ち寄れる、お気に入りの一軒だったのだ。
「困ったな、式のスーツ、どこに出せばいいんだよ。」
娘の式はカジュアルなガーデンウエディングと聞いている。
今流行りのやつだ。
いわゆる“モーニング”を着ないからといって、
父親たるもの、一丁前にスーツは着らねばならないだろう。
しかし。隣町までクリーニングにいかなきゃならんのは
すこし面倒くさくなってしまったなと思っていた頃。
新しいクリーニング店の存在を知った。
ちょうど娘が実家に来たときに、近くでビラ配りをしていたといって
その店のチラシを置いていってくれたのだ。
「Laundry diary」。
聞き慣れない名前だ。
しかも24時間営業?
コンビニじゃあるまいし、不思議な店だ。
「スーツ、式に間に合うように、ちゃんとクリーニングに出しとかんと。」
前回着用した際に、クリーニングに出していなかったことがバレている。
こういう、ちょっと怒ったような口調も妻にそっくりで困る。
長身の男店主は、クリーニング店のオーナーだというのに(雇われ店主かもしれないけれど)、
よれっとしたくすんだ色のシャツを着ていた。
必要以上に会話はしなかったが、
目があったときにとっさに
「あの。結婚式なんで。娘の。」
早口でボソッとつぶやいてしまった。
「ああ。そうですか」
おめでとうございますも言えんのかと思ったが、
まあ、いまの若いやつなんて、そんなもんだろう。
特に気にはしなかった。
そして前日の朝、スーツを引き取りにいくと、
何ともダサい紙袋に入れられ、そっと手渡された。
「あのお代は。」
「結構です。」
「え?そんなわけには。」
「いえ大丈夫です。おめでとうございます」
スーツの仕上がりは完璧だった。
別に行きたくて行く結婚式じゃない。
2時間かそこらのただのパーティーだ。
そんな風に思うようにしていたから、
いよいよ現実が目の前にせまってきたようで
お礼もそこそこに店をあとにした。
夕方、娘がやってきた。
独身最後の夜だからとうちに泊まるのだという。
夕食を終えたあと、ダイニングに置きっ放しになっている紙袋をめざとく見つけた。
早速紙袋のなかに手をつっこみ、
「お父さん! これ、ちゃんと吊るしとかんといかんよ。」
そんな風に言いながら、スーツをハンガーにかけようとした時。
「あれ?」
白いハンカチーフが一枚入っていた。
前に使ったものがそのまま、スーツのなかに入りっぱなしになっていたようだ。
洗濯はしているようだが、シワが目立つ。
たぶん伸ばしていない。
あの店主がこれに気づかないはずがないんだけどな。
そんなことを頭に浮かべていると、
「はい、貸して。」
部屋の隅に追いやられていたアイロン台の脚を伸ばし、
台の上にハンカチーフを置き、娘がアイロンをかけはじめた。
シュー…
シュー…
アイロンの音が、静かな部屋に反芻する。
やわらかな蒸気が充満してくる。
「長生き、してよね。」
本番は明日だというのに。
ほんのり温かいハンカチーフに手を伸ばしそうになって、
マズイと思った。
ライター
福永あずさ
熊本市在住のフリー編集者・ライター。高校まで宮崎暮らし。カメラマンの夫と愛猫と、水前寺の古いアパートでぼんやり暮らしてます。バーと離島とスナックが個人的なパワスポ。年に2・3回、日本の酒場をめぐるひとり旅に出ます。遊ぶことに関して脅威の集中力を発揮しますが、請求書をすばやく出す、掃除機をきちんとかける、などの生きていく力がほぼ皆無。一年中唐揚げ食べてます。