コジマコージ

2019. 11. 28

十歳にして「さび」を知る。

 夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡

 平泉(岩手県)を訪れた松尾芭蕉が『奥の細道』で詠んだ有名な句だ。芭蕉は俳句の一番美しい部分を「寂び」と名づけた。俗にいう詫び寂びの「寂び」で、現代でも歌のもっとも印象的な部分を“サビ”を呼ぶのはこの「寂び」が語源らしい(もっとも刺激的な部分だから「ワサビ」が語源という説もある)。しかし、僕にとっての印象的な“サビ”とは「錆び」のことだ。それは少年時代の苦い思い出に起因する。

 小学4年生の頃、夏休みの宿題に自由研究の課題が出された。それとなく友人たちに尋ねてみたところ、アサガオやヘチマの観察日記が多数を占めていたが、僕は溶液にクギを浸して錆びの発生を観察する「錆びの研究」を選んだ。この題材を選んだ一番の理由は、親が看板製作の工房をやっていて材料調達が簡単だったからだ。夏休みが始まるとすぐに倉庫に山積みされていたクギの在庫からとびっきりのピカピカを選りすぐった。時間の経過によるクギの見た目の変化は大きければ大きいほどよい。光り輝く金属がズタズタに朽ち果てていく退廃的なイメージを描いていた。つぎに台所で酢や塩水、油など数種類の溶液をガラス瓶に満たしてクギを沈めた。あとは経過を観察するだけ。植物の観察よりはよほど手がかからない。それも大きな理由のひとつだった。サボテンさえも1週間で腐らせる僕が1カ月以上もアジサイやヘチマを育てられるわけがない。金属ならば腐れたり枯れたりする心配もない。むしろ腐食させる実験だ。しかも急激には錆びないから週に一回くらい見ておけばいいだろう。この時点で僕のプランは完璧だった。その日から自由研究のことなど忘れて山や川で遊びまくる日々を過ごしていた。

 暗雲が立ち込めたのは夏休みの半分が過ぎた8月中旬。真っ黒に日焼けした僕とは裏腹にクギはいまだ新品同様の佇まい。さすがに不安になってきた。この状況を打破しようとクギを一旦引き上げてフライパンで軽く炒めてみたが、フライパンのテフロンが剥がれて母親に怒られただけだった。溶液に熱々のクギを沈めながら「錆び」を待ち焦がれる日々がまた始まる。恋もろくに知らない少年が最初に待ち焦がれた相手は酸化物。甘酸っぱさのカケラもなくて逆に切ない。

 それから1週間が経った。やはり錆びはつかない。夏休みも残り数日となり、研究の失敗が決定的となった僕のなかでひとつの疑問が生まれた。それを確認するために重い足取りでクギを選んだ倉庫に出向く。クギの箱を手に取るとすぐに疑問は確信に変わった――「ステンレス」だった。

 十歳にして絶望を知った。僕はその場に崩れ落ちた。ズタズタになったのはクギではなく少年の心のほうだ。もう研究をやり直す時間は残されていない。せせら笑うようにキラキラしたクギを見つめて思い悩んだ挙句、十歳の少年はイチかバチかの勝負に出る。

「ステンレスの耐久性の研究」として提出。

 どれほどステンレスの耐久性が優れているか。ステンレスを称賛するだけの自由研究が完成した。たくさんの罪悪感を抱えながらの提出だったが、担任の先生からは着眼点が素晴らしいと大絶賛された。しかし、いくら褒められようとも苦笑いしか出てこない。今までの人生で味わったことがない羞恥と歓喜のあいだで少年の何かが捻じれた気もするが、概ねその体験がその後の人生に好影響を与えたと思っている。「失敗しても何とかなる」と本気で思えるようになったからだ。

 そしてもうひとつ大切なものを手に入れた。それが“ステンレスは錆びない”という圧倒的な事実。さすが「stainless(錆びない)」と名乗るだけのことはある。ステンレスという存在を半ば神格化した僕はその後の人生のさまざまなシーンをステンレスと共に歩んできた。ふでばこもステンレス。水筒もステンレス。当然、物干し竿もステンレスだ。「錆び」とは無縁の穏やかな一生を送ると信じていたある日、ふとベランダの物干し竿を見ていて気が付いた。

 錆びてるー。

 すぐに物干し竿の材質を確認したが、間違いなく「ステンレス」。再び僕は崩れ落ちた。すぐにネットで調べてみたところ、その原因は「もらい錆」だった。ステンレスの表面に付いた雨水などに、よそから飛んできた金属粉や錆が付着して錆びるらしい。厳密にいえばステンレス自体は錆びていないのだが、見た目は完全に錆びている。ショッキングな事件だった。しかし、“ステンレスは錆びない”という常識を外して世界を見てみると、意外と錆びが付着しているステンレスが多いことに気付く。公園などの遊具は雨ざらしなので尚更だ。錆びは衣服の汚れのなかでも落ちにくい部類に入るが、子供服などに付着した錆びには市販の還元型漂白剤の使用が効果的だ。

 子供は本当によく服を汚す。娘が通う幼稚園には一年中Tシャツで過ごす園児たちがたくさんいて、木枯らしの中でもお構いなしに泥や錆びにまみれて元気に走り回っている。「寒くないの?」と訊いてみたが、「寒くないよ、子供は強いから」という園児からの答えに松尾芭蕉の句を思い出した。

 夏服や 強者どもの 錆びの跡 

 人生をひとつの歌とするならば、子供時代はまだAメロくらいだろう。その歌はバラードだったり、ロックだったり、いつしか演歌になったりするのだろうか。「大人って楽しい?」と別の園児から訊かれたことがある。「子供の頃よりずっと楽しい」と自信満々に答えた僕をからかうように「ウソだー」と笑いながら走り去る背中を見つめながら願う。子供たちの未来に刺激的なサビが訪れますように。

ライター

コジマコージ 

MUDAI代表/デザイナー/コピーライター 高校中退&就職未経験の逆エリート街道まっしぐら系フリーランサー。酔うと句読点について語るらしい。素敵な妻とかわいい娘のスリーピース家族。主な運動はダブルクリック。

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