コジマコージ
2019. 06. 14
若気のイタリア 僕がフォークでカレーを食べる理由
僕はネクタイをうまく結べない。その理由はいわゆる就職や就職活動というものに縁がなかったからだと周囲に吹聴しているが、じつは一度だけ就職活動をやったことがある。当時はウェイターとして純喫茶でアルバイトをしていたが、「学生のアルバイト」というイメージが強い日本とは違い、イタリアはウェイターがプロの接客業として尊敬される国だ。そんな環境に憧れた22歳の僕は突発的にイタリアに渡った。
コジマ、イタリアに行く
結論から言うと、就職活動はあっけなく数日で終わった。お店に突然やってきた外国人を雇ってくれる店は一軒もなく、「無給でも働きたい」と思えるほどの覚悟もなかったから当然と言えば当然だ。この有り余った時間をどう使おうかとホテル近くの食堂で思案していると、隣に座ったイタリア人の青年が話しかけてきた。さすがにはじめは警戒したが、就職活動の挫折感も手伝って一緒に赤ワインを飲むことにした。彼は同い年だった。話の流れでイタリアの食事マナーの話題になり、スプーンはスープの飲むためのものだからカレーはフォークで食べるのが正しい、ということを初めて知った。僕はその日からカレーをフォークで食べるようになり、20年近く経った今でもフォークで食べている。正直言ってとても食べにくい。
世界各地にはさまざまなカレーがあるが、欧風カレーや日本のカレーはドロっとしていてフォークでも何とか食べることができる。しかし、サラサラとしたインドカレーはかなり難易度が高い。そもそもインドカレーの正式な食べ方は「手で食べる」だろう。フォークなんか使ってられるか、と僕はインドに渡った。(強引)
コジマ、インドに行く
10年ほど前、ひょんなことからインドに行くことになった。友人がヨガの修行でマイソールという町に数カ月滞在するという。インドは旅行好きのあいだでも特別な国で、こういうきっかけがないとなかなか行く機会はない。僕はその場の勢いだけでインドへの旅行を決めた。
南インドのバンガロール空港に着いたのは真夜中だった。鳴り止まない爆音のクラクション。ディーゼル車の排気ガスのにおい。暗闇にうごめく無数の人影。到着直後から小さなトラブルが続いたこともあって気が滅入っていたが、バスや列車、リキシャ(小型の三輪タクシー)を乗り継ぎ、なんとか目的地であるマイソールにたどり着いた。
無事に宿に到着して修行中の友人にも会えた。部屋のソファでひと休みしていると、今まで緊張の陰に隠れていた食欲が急に顔を出す。ちょうどお昼時だった。僕は現地の人でごった返すレストランに入り、メニューの写真を指差して注文を済ませた。しばらくするとウェイターが水の入ったグラスを持ってきて、お皿として使うバナナの葉がテーブルに敷かれた。僕の心は踊っていた。突如、背後から強烈なスパイスの香りが漂う。ウェイターが慣れた手つきで数種類のカレーを次々とバナナの葉の上に盛り付けていく。いよいよ待ちに待ったこの瞬間。僕は右手をカレーに突っ込んだ。
「(ヒィ、熱い……!)」
悲鳴を上げそうになった。いったいインド人の手はどうなってるんだ。熱さと辛さで右手がヒリヒリする。しかし、だんだんコツをつかんで熱く感じない手の使い方がわかってきた。その店のカレーの味も最高だったが、手で食べる行為自体が予想以上に楽しい。周りのインド人の視線が気になるが、きっと外国人が手で食べているのがめずらしいのだろう。別に悪い気はしない。もうじき食べ終わろうかというときに、ウェイターが慌ててテーブルに何かを置いた。
スプーンだった。
ふと周りを見渡すと、インド人もみんなスプーンで食べている。顔から急に汗が噴き出した。今さらスプーンを使うのも逆に恥ずかしいので最後まで手で食べ続けた。あとで現地の人に尋ねてみたら、手でもスプーンでもどっちで食べても大丈夫らしい。ついでにフォークを使うのか訊いてみたら、「食べにくいだろ」と笑われた。僕もそれに同意した。
「食べこぼし」との戦い
郷に入っては郷に従えという言葉もあるが、旅先ではなるべくその土地の人に近い服装で過ごすようにしている。若いころに滞在したイタリアでは、現地のイタリア人に合わせて青シャツを着ることが多かったが、毎日のようにトマトソースのシミをつくっていた。イカ墨スパゲッティを食べてダルメシアンみたいになったこともある。今まで食べこぼしが原因で何枚のシャツをダメにしたか数えきれない。ところが、インドでシャツをダメにしたことは一度もなかった。不思議なことにインドでは食べこぼしのシミが消えるのだ。
消えるシミの謎
シミが消える原因はしばらくして判明した。そこには「カレー」と「日光」が関係してる。カレーの黄色いシミの原因となるのはターメリックの色素成分「クルクミン」で、この色素成分は水に溶けにくく洗ってもなかなか落ちない。しかし紫外線には弱く、日光に当てると比較的簡単に分解されるのだ。きっとインドの強烈な日差しが色素の分解をさらに促進していたのだろう。数時間でシミが消えることもあった。
インドでは主にカレーの色素だったが、食べこぼしのシミの多くはさまざまなタイプの汚れ(たんぱく質、色素、水溶性の汚れなど)を「油分」が覆っている状態。まずは洗濯前に、その汚れをコーティングしている「油分」を食器用洗剤などでしっかり落とすことが重要なポイントとなる。
旅は人生を変える
余談となるが、旅は人生を大きく変える。イタリアから帰国して変わったのは「カレーをフォークで食べるようになったこと」だけではない。あのときのイタリア人の青年はデザイナーの卵だった。当時はSNSも一般的ではなく、連絡先も交換しなかったから、彼のその後については知る由もない。しかし、彼が熱く語っていたデザインに対して興味を持ち、帰国してからデザインを学び、のちに僕はデザイナーになった。
そのときの会話の内容はすっかり忘れてしまったが、赤ワインを飲みこぼした僕のシャツを見て、二人で腹を抱えて大笑いしたのは今でも鮮明に記憶の底にある。それはまるでネクタイのようだった。
ライター
コジマコージ
MUDAI代表/デザイナー/コピーライター 高校中退&就職未経験の逆エリート街道まっしぐら系フリーランサー。酔うと句読点について語るらしい。素敵な妻とかわいい娘のスリーピース家族。主な運動はダブルクリック。