特集

2020. 02. 21

温故知新とはこのこと! 超老舗クリーニング店探訪記

 

突然ですが、みなさんは洗濯の歴史をご存知ですか?

最古の記録は何と、今から4,000年以上前のもの。

エジプトの壁画に洗濯の様子が描かれているんです!

 

壁画には、布を棒で叩いたり体重をかけて水を絞ったり

洗濯に奮闘する労働者たちの姿が見られます。

 

出典:週刊粧業 エジプトのベニハッサン墳墓の壁画

 

服を着れば、汚れるのは自然なこと。

昔から人類は、日々洗濯に励んできたのですねぇ。

 

さて時は経ち、幕末期の日本。諸説ありますが

日本で初めてのクリーニング屋さんは

横浜で産声を上げたと伝えられています。

 

黒船に乗って来航した欧米諸国の人々に頼まれ

西洋流の石鹸を用いたクリーニングが始まったのだとか

当地である『港の見える丘公園』には

今も「クリーニング発祥の碑」が残されています。

 

そんな日本のクリーニング屋さん黎明期から

さらに、しばらくの年月が過ぎ……。

昭和12年、いよいよ熊本にも近代感の波が!

大津町に『斎藤クリーニング』が誕生したのです。

 

前置きが長くなりましたが

さすらいのズボラ家事ライター・イセキによる

熊本のユニークなクリーニング屋さん探訪。

今回は、クリーニングの歴史を見守ってきた

老舗中の老舗に伺ってみましたよ!

 

ご紹介する斎藤クリーニングさんはこちらです!

 


こちら、ですよね???

看板もありませんし、全体的に年季が入った佇まい。

そして、この味がありすぎる郵便受けよ

 


お店の入口が異世界に繋がっていたらどうしよう
……

前回に引き続き、腰が引けた状態でのスタートです(泣)

 

 井関

こ、こんにちは〜

 

斎藤

こんにちは。分かりにくかったでしょう?

どうぞ、どうぞ!

 


こちら、店主である斎藤周一さんと奥さま。

優しそうな笑顔に心底ホッとしました!

(この流れにもデジャブを感じます)

 

斎藤さんは、この地で3代にわたって

クリーニング店を営んできたという

熊本クリーニング界の生き字引なのです。

 

 井関

斎藤さんは、熊本で一番古くから営業されている

クリーニング屋さんと伺いましたが、本当ですか?

 

斎藤

昔のことだから今となっては分かりませんけどね。

登録自体は県で3番目だったみたいです。

当時から今まで続いているのは、うちだけかなぁ。

 

 井関

その頃は、今とはクリーニング屋さんの役割や

立ち位置もだいぶ違っていたんでしょうか?

 

斎藤

昔は、クリーニング屋という呼び名じゃなくて

“洗い張り屋”といってね。僕が子どもの頃の話です。

ドライクリーニングなんて存在しないから、水洗い。

着物の糸という糸をすっかり解いてしまって

反物の状態に戻してから洗っていたんですよ。

 

 

 井関

えー!?

そんなに手間がかかることを!?

 

斎藤

水洗いすると、着物は必ず縮んでしまうものなんです。

だから、それを弓のようにたわませた竹ひごに通してね。

手作業で広げて、元の大きさに戻していたんですよ。

 

 井関

一回のクリーニングごとに!?

ほどいて、洗って、仕立て直すんですか?

 

斎藤

そうそう、仕立て屋さんは別にいましたね。

今からすると考えられんでしょう?

60〜70年くらい前のことだから、戦後までは

そういう風にしていたんじゃないかな。

昔は、庶民の服は木綿、麻。贅沢品でも絹。

天然の繊維だから、洗濯板でじゃぶじゃぶ洗って

洗いざらしを着るのが普通だったんですよ。

 

 井関

なるほど。よそ行きの着物以外の服は

「洗濯を外注する」必要性がなかったんですね。

 

斎藤

私が18歳で東京のクリーニング専門学校へ進学して

大津に戻ってきてからかな、洋服が増えてきたのは。

警察官とか公務員とか、背広を着て仕事をする人が

お得意さんになってきましたね。

 

 

 井関

その頃には、ドライクリーニングの機械も

開発されていたと伺ったことがあります。

 

斎藤

そうそう、当時のドライクリーニングは

今と違って濾過の技術がなかったから

洗浄液につけたら、貯蔵庫に吊るしておくの。

すると、汚れがポタポタ落ちてきてねぇ。

 

 井関

へぇ〜! おもしろい! 原始的!

 

斎藤

悠長なものですよね(笑)

昔は何もかも手作業だから人手が必要で。

うちでも5人ほど職人さんを雇っていました。

今は、すべて機械がやってくれるから

夫婦2人でも何とかやっていけるんですよ。

 

 井関

そうなんですね。

あ! このマシンは見たことあります!

 

 

斎藤

この機械は、ワイシャツやブラウスを

自動で仕上げてくれるものですね

大手の工場さんでは、ここから取り出して即

ビニールをかけてお返ししていると思いますが

うちでは、最後の仕上げは手仕事なんですよ。

 

 井関

えっ?

全自動の機械があるのに?

 

斎藤

やっぱりカフスとか襟まわりは

手で仕上げた方が、気持ちがいいから。

個人店だからこそ、できることなんですけどね。

今はクリーニングもいろんなサービスがあるけど

仕上げの細やかさ、シミ抜きに関しては

やっぱりこの辺りではうちが一番!

という心意気でやっています。

 

 

 

斎藤

でもね、実は地震のときに店を畳もうか悩んだんです。

もし地震で店がダメになったら、潔く引退しようと。

ところが幸か不幸か、店にはほとんど被害がなくて

これは神様が「諦めるな」て言っとらすね〜って(笑)

 

 井関

きっとそうですよね。大変な道ですけど。

 

斎藤

上水道も3〜4日目には復旧していたので

断水が続く地域の常連さんには

「うちに持ってきてくれたら洗濯・乾燥しますよ」

とお伝えして。1ヶ月くらいかな、無償でやりました。

そうやって、ささやかでもお役に立つことができたから

まだ、もう少しだけ頑張ろうかと思ったんですよ。

 

 井関

ちょっと、涙が出そうです……。

斎藤クリーニングは町にとって

なくてはならない存在なんですね。

 

斎藤

そうだとありがたいですねぇ。

ただ、うちの子どもたちは店を継がないし

どんどん新しい繊維が出てきて、覚えるのも大変。

クリーニング師は体力勝負なところもあって

「2人でどこまでやれるかなぁ」な〜んて

妻と話しているところなんですよ。

 

 井関

そうなんですか。

寂しぃ……。

いつまでもここにいてほしぃ……。

 

斎藤

これからは、若い人が主役ですから!

私はLD熊本の理事長でもありますが

極力、何にもせんようにしています。

若い元気な人達が、動きやすく

意見を出しやすいように黙ってます(笑)

 

 井関

それは理想のトップですよ(笑)

 

斎藤

気軽に楽しんでもらえるマルシェを開いたり

小学生対象のキッズ教室にも力を入れて

これからも町のクリーニング屋さんが

生き残っていける道を模索したいですね。

で、無事に役割を終えることができたら

これまで頑張ってくれた妻と一緒に

少しのんびりしたいなと思っています。

 

 井関

ぜひぜひ、幸せな第2の人生を歩まれてください!

今日はありがとうございました。

 

ライター

井関麻子

ライターで2児の母で長女です。エクレアと焼き菓子が好き。

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